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今回は過去の格闘家のご紹介。
過去と言っても「超過去」。
明治時代に遡ります。
「前田光世」:今の青森県出身。明治後期に、柔道家として世界中を転戦。異種格闘技戦において、柔道着の試合では二千試合無敗の記録を残す。 「コンデ・コマ」(スペイン語で「高麗伯爵」)のニックネームで世界中に「日本人(柔術)恐るべし」と言わしめる活躍をする。
このお方、現代においては十五年程前までほとんど忘れ去られていたそうです。
それを甦らせたのは、かの有名な「グレイシー一族」。
1993年アメリカでの第一回UFC大会。
時の優勝者は桜庭和志選手と激闘を繰り広げたことで知られる、柔道着を纏ったブラジル人「ホイス・グレイシー」当時26歳。
当時は総合格闘技創成期。
まだルールも雑で、いわゆる「何でもあり」の喧嘩のような試合。
世界中から集まった身長2メートル近いレスラーやボクサーを相手に、ふたまわり程小さな体で全試合2分足らずの圧倒的強さで「世界最強の男」になった彼から「コンデ・コマ」の名が語られました。
昭和の初期に、遥か彼方ブラジルの地で、彼の父「エリオ・グレイシー」に柔術(今で言う柔道)を教えたのが「前田光世」なのです。
当然スポーツ雑誌の類は
「コンデ・コマ」とは誰か?!
と騒然。
その後のヒクソン・グレイシーの活躍などで一気に柔術に対する注目が集まりました。
しかし、、なぜ、世界?
なぜ、ブラジル?
当時、文明開花直後の日本は貧しく、世界に出稼ぎに行かなければ食べて行けない家庭が山ほどいたのです。
そして、日清・日露戦争に勝利した日本は欧米から疎まれ、日本人移民は差別されていたのです。
世界修行をしていた「コンデ・コマ」は移民ではありませんでしたが、そんな同胞の窮状を目の当たりにし、数々の各国首脳の前での公式試合で勝利しては、日本人移民の受け入れを打診していたそうです。私設領事館の役割ですね。
また、彼の通った土地の日本人移民は皆、現地の人から尊敬されたそうです。
「コンデ・コマの同胞か!」と。
か、カッコイイ、、。
昔の日本人は強かったんです!!
彼の選んだ最期の地は「ブラジル・アマゾン」。
当時今より未開の地で何を思い死んでいったか。
悲しいかな、彼の伝えた柔術は日系人を始め、数々のブラジル人格闘家に受け継がれています。
そして総合格闘技の世界では、彼ら「ブラジル人格闘家」が柔術を駆使して席巻していることは、言うまでもありません。

